2026-06-21
又吉さんのYouTubeみててさ
なんとなく
又吉さんがおじいちゃんに久々に会いに行ったときの話。 おじいちゃんは最初又吉さんのことをわかってなくて、
それでも又吉さんがおじいちゃんと話せること、聞きたいことをきいていたら 「その質問の仕方なおきくんみたいやな、あんたなおきくんか?」ってなった話。
形あるものだけが全てでなく、心にあるもの、形のないものもすべてから〜って話をしてて、
その話自体もにゃるほどなぁ。深いし、またここにかえってくる考え方なんだろうと思う。
それにもまして、又吉さんがおじいちゃんが初め自分をわかってなくても、それでも、話す時間自体を大切にしたからできたこと。
もし、自分が心を許している人が、老いとかで私を認識できなかった時、私はすごくかなしいとおもう。でもそれって、自分の承認欲なのかなって。聞いてて思った。私をわかってほしいという、自分のエゴなのかもって。
その人とのその時間を純粋に楽しむってこととはちがうのかって。主語が『自分』『現象そのもの』起こっていることは一緒だけど全然違う。 誰かと話すとき、の前提、〜〜の私って思ってるのかもって。
だから、周りの人が(自分も)今顔老いなどで、私のことを認識されなくなるのが怖いし、悲しい。人の記憶に残ってたい。自分をわかってほしいって思ってたけど、そうじゃない捉え方でもいいのかもって。その人との時間、事象自体を
味わうことそのものでいいのかもって。
なんて思っちゃった。